シリコンバレー物語(2) | 青学V-NETマガジン

シリコンバレー物語(2)

■シリコンバレー株式会社の系譜■

 

シリコンバレーの成り立ちを遡ると、“シリコンバレー株式会社”と呼ぶに相応しい系譜をそこに見出すことができる。
 シリコンバレーの系譜を遡っていくと1925年にスタンフォード大学の教授になったフレデリック・ターマン(1982年没・享年82歳)に行き着く。ターマン教授は学生に対し、東部の大手企業に就職する代わりに、大学で学んだ知識を活かして独立起業することを奨励した。
 彼の忠告に従った最初の学生、それがウィリアム・R・ヒューレットとデーヴィッド・パッカードである。1938年、大学に近い住宅街の一角にある小さなガレージで、2人はオーディオ発振器の製造メーカーとしてヒューレット・パッカード社を立ち上げる。当時のまま今も残るガレージの前には、『BIRTH OF SILICONVALLEY』(シリコンバレー誕生の地)と刻まれた碑が立っている。
 スタンフォード大学が所有する広大な土地を工業団地(スタンフォード・インダストリアル・パーク)として開発、整備し、ハイテク企業にリースすることを思いついたのもターマン教授であり、彼はまた自ら率先して企業や研究所の誘致も行った。その1つに、ショックレー半導体研究所がある。
 トランジスタの発明でノーベル物理学賞を受賞したウィリアム・ショックレーが、長年研究してきた半導体技術を産業分野に応用する目的で1956年に設立したのがショックレー半導体研究所である。設立当初の研究員は20人ほどで、のちにインテルを創業することになるロバート・ノイスやゴードン・ムーアもその中にいた。
 ショックレーは科学者としては優秀だったが、異常ともいえる偏屈な面を持ち合わせており、研究所設立のわずか1年後、57年夏、彼の下で働くことに耐えられなくなったノイスやムーアら研究所の主要メンバー八人が研究所を去っていく。
 この8人が中心になり、IBMの個人筆頭株主だったシャーマン・M・フェアチャイルドが150万ドルを出資し、57年暮れにフェアチャイルド・セミコンダクターが設立される。社長にはロバート・ノイスが就任した。
 フェアチャイルド・セミコンダクターは大成功を納め、60年代後半には3万人以上もの社員を抱える大会社へと成長を遂げる。 その過程で、シリコンバレーのあちこちで多くの“フェアチュルドレン”が誕生する。

(文・滝田誠一郎)