シリコンバレー物語(5) | 青学V-NETマガジン

シリコンバレー物語(5)

■「失敗」もまたひとつの実績であり財産


 一説によれば、シリコンバレーでは1年間に3000社ほどのベンチャー企業が誕生し、そのうち2500社ほどが1年以内に潰れるか、休眠状態に陥ってしまうといわれる。3年後の生存率はせいぜい5%ほどだとか。
 シリコンバレーは毎年数多くのベンチャー企業が誕生する産院であり揺りかごであり、そして数多くのベンチャー企業が衰滅し、消滅していく墓場でもあるわけだ。屍累々、である。
「潰れていった会社の跡に墓標を立てていったら、シリコンバレーはそれこそ墓標で埋まってしまう。まさにシリコンバレーはベンチャー企業の墓場ですよ」
 DVD用オーサリング(編集ソフト)システムの開発を軸に事業を展開しているベンチャー企業、スプルース・テクノロジーズの曽我弘社長はそういって苦笑する。1935年生まれの65歳。新日鐵を定年退職したのちにシリコンバレーで起業した他にあまり例を見ない熟年起業家である。
「シリコンバレーで成功しているヤツは、みんな、その墓場から出てきた連中なわけですよ。亡霊なんです(笑)。1回失敗し、2回失敗し、3回失敗して、失敗するたびにだんだん賢くなって、あるときパッと大きな成功を納める。それがシリコンバレーでは普通なんです」(曽我社長)